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受賞者に聞く!

仕事へのこだわりを思い返して、人との関わりを振り返って。様々な時代のストアフロントコンクールで入賞を経験された皆様に、それぞれの受賞作や当時への想いを語っていただきました。

第2回(1971年)受賞者 ―新製品を全国で一番最初に使用した―

イトゼン株式会社 常務取締役 伊藤 勝彦氏

受賞作:第2回 金賞「大門南市場」新製品として出たばかりのカラール(外壁材)を全国で一番最初に使用したケースでした。お客様に「カラールを、是非使用していただきたい」という旨をPRし、それが受け入れられ、入荷を待ち構えて、すぐに取付け工事を行った記憶があります。
施工については、フロント材を扱い始めたばかりだったため、分からない部分が多く、名古屋から小山工場まで何度も足を運び、指導や支援を受けました。今後も、ストアフロントコンクールの継続とともに、お客様に提案したくなる新製品が続々と出てくることを期待します。

第10回(1979年)受賞者 ―失敗から学んだ時代―

有限会社東洋技術開発 代表取締役会長 冨田 誠治氏

受賞作:第10回 第2部門金賞「品川倉庫不動産部」受賞当時、お客様の要望には何でもチャレンジして、とにかく実績を作っていこうとしていた時代でした。そんな中で時には失敗する事もあり、ひとたびクレームが発生すれば修理や交換の為に何度も現場へ足を運びました。このような経験から学んだ事は、今でも当社の貴重な財産となっています。
受賞した作品には建築図がなく設計士のスケッチと現場実測で施工しました。雨の心配のない半地下の現場でしたので、角度方立(たて材)を横に使用するなど、組み合わせを工夫しながらお客様の要望にお応えしました。

第29回(1998年)受賞者 ―建物とフロントの融合を進める役割―

株式会社タカフジ 代表取締役 尾上 精治氏

受賞作:第29回 グランプリ「コーチャン・フォー」施工物件への賞は、以前に何度かもらっていましたが、グランプリは初めてでしたので、北海道の企業として感慨深いものがありました。この物件を通して、北海道釧路市の設計事務所様で初めて仕事をさせてもらいましたが、建物のデザインに感動し、そこに当社の施工したフロントが使われていることを大いに誇りを感じました。
コンクールについては、建物とフロントサッシとの融合がより素晴らしい物となるよう、昭和フロント様のさらなる製品開発と合わせて、業界全体へアピールすべく継続していただきたいと思います。

第34回(2003年)受賞者 ―提案営業への転換の記念となった仕事―

アサヒ製鏡株式会社 代表取締役社長 稲光 大司朗氏

受賞作:第34回 グランプリ「ロッキー遠賀店」受賞作は、10年経った今でも色褪せることのない斬新なデザインだと感じています。当時もそこを評価いただいたのではないでしょうか。また、営業という面でも思い出の深い仕事でした。従来のルート営業から発想を変え、クライアント営業(川上営業)を強化した結果が実を結んだ例だったからです。
当時の渡辺社長、上野九州支店長、中村福岡営業所長には大変お世話になりました。振り返ると大変懐かしく、様々な事が思い出されます。今後も末長く発展し、多くの優れた昭和フロント作品が世に出ることを期待しています。

第39回(2008年)受賞者 ―ものづくりの励みとなった受賞―

株式会社有田工業 代表取締役社長 有田 千歳氏

受賞作:第39回 グランプリ「大阪トヨタ自動車高槻店」受賞後、「あのトヨタのストアフロントを製作したのは、有田さんですか」とお褒めの言葉をいただく機会が多々ありました。あの物件は、角度切りがひとつずつ違うため、施工が大変でした。すべてのフロント材がはめ込まれ、ピタッと合った時、心から安堵したことを覚えています。
コンクールでは、フロントの出来がよくても、建物とのバランス等もあり、常に高評価が得られるとはかぎりません。しかし、めげることなく、おごることなく、受賞をものづくりの励みとして、これからも精進していきたいと考えています。

第39回(2008年)受賞者 ―いつかはグランプリを獲りたい―

株式会社建商 代表取締役 西森 義信氏

受賞作:第39回 第2部門金賞 「ネッツトヨタ南国のいち青空店」こだわりのある設計事務所様と本気でぶつかりながら、フロントづくりに取組んだ日々を思い出します。
受賞作は、全国的にも有名な経営者、ネッツトヨタ南国の横田社長が、現役で旗をふっていらした頃のものです。建築デザインの方針から、マリオンの2本に1本は足元まで降ろすことができず、補強にずいぶん苦労しました。あの時の情熱は、今でも社内の人材や風土に残っています。「いつかは必ず、グランプリを獲りたい」という気持ちでいますので、それまでは10年でも20年でも続けていただきたいと思います。